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悲運の沢村、また勝てず…

巨人 1-4 オリックス(5月23日、東京ドーム、観衆=39857人)

 巨人は22、23日のオリックス戦に連敗。それにしても、沢村の勝ち運のなさときたら…。

 巨人のドラフト1位ルーキー、沢村拓一投手(23)がまたもや“見殺し”にされた。巨人は23日、東京ドームでパ・リーグ最下位のオリックスと対戦。今季7試合目の先発となった沢村は序盤から好投し、一回裏には2死一、三塁から阿部のライト前ヒットで早々と1点の援護をもらった。

 だが、四回、田口、李承ヨプの連打で一、二塁とされ、2死後、大引のレフトへのタイムリーヒットで同点に。それでも7回を投げ抜き、6安打1失点。プロ初の2桁となる11三振を奪った。巨人は八回からは久保、九回には越智とつないだが、越智が簡単に2死を取った後、オリックス先発の寺原隼人投手(27)がそのまま打席に入った。普通なら代打を送られるケースだが、七回を投げ終わった時点で岡田監督から「きょうはおまえで最後までいく」と完投指令が出されていた。連投の投手陣を休ませるためだ。

 とはいえ、プロ10年目の寺原は、昨年までの4年間、横浜でプレーしたものの、9年間の通算打率はわずか.126にしか過ぎない。普通に考えれば“安パイ”。早々と凡退して次のイニングに向けて体力を温存する手もある。しかし、寺原は追い込まれながらもファウルで粘り、9球目で四球を選んで出塁した。「投手が出塁すれば雰囲気も変わる。相手投手は『やっちゃった』という気持ちになる」と寺原。その言葉通り、越智は動揺したのか、続く坂口が投手強襲の内野安打で続き、途中出場の山崎浩が左翼へ3ラン本塁打を放った。その裏、寺原は巨人打線を三者凡退に抑え、今季3勝目を挙げた。

 沢村は、負けこそつかなかったものの、4月21日の阪神戦(甲子園)で初勝利して以来、5試合続けて白星なし。もう1カ月以上勝ち星から見放されているとあって、「プロでやる以上、結果が全て。ゼロに抑えられなかったのが悔しい。1勝するのは難しい」と脣を噛んだ。

 沢村の初先発となった4月15日の広島戦(マツダスタジアム)は6回2/3を2失点と好投するも、試合は4-4の引き分け。4月21日の阪神戦(甲子園)で7回を1失点で初勝利を挙げたが、4月28日のヤクルト戦(静岡)は7回1/3を4失点で初黒星。5月5日の阪神戦(東京ドーム)では6回1/3を2失点で負け投手となり、5月11日の横浜戦(東京ドーム)は7回を4失点で自身3連敗。その後、前回登板の5月17日の楽天戦(Kスタ宮城)では6回を3失点で勝ち負け付かず、この日も勝てなかった。ここまでの防御率は2.47とセ・リーグの8位に付けているのだが、沢村が登板した7試合の平均得点は2.29と援護に恵まれていない。

 原監督は「3、4、5、6番がチャンスで束になり、4人で点をもぎとってもらわないと。“スミ1”ですしね。投手は責められないでしょう」と打てない打線を敗因に挙げ、沢村をかばった。敵将の岡田監督も「真っすぐに力があったし、評判通りええ投手よ」と評価した。好投しながらも勝ち星に恵まれないのは、もう「持ってない」としかいいようがない。

 一方、この日133球の力投を演じた寺原もある意味、“持っていない男”だった。寺原は2001年のドラフトで、ダイエー(現ソフトバンク)、巨人、中日、横浜の4球団が競合し、ダイエー入り。ルーキーイヤーに6勝、翌2003年に7勝を挙げるなどしたが、2006年オフに多村仁とのトレードで横浜に移籍した。横浜時代の4年間は21勝31敗22セーブ。特に巨人戦に弱く、ここまで巨人戦には2勝12敗とやられっぱなしだった。この2勝はリリーフで挙げたもので、先発に限れば2007年5月16日に黒星を喫して以来、実に対巨人戦11連敗。昨年3月には、登録名を「寺原隼人」から「寺原早人」に改名したりと験担ぎも試みたが、昨年は4勝3敗に留まり、オフにはオリックスにトレードに出された。

 「自分でも巨人戦未勝利というのは気付いていました。セ・リーグに移って巨人に勝つことがひとつの目標でした。横浜では出来ないままパ・リーグにまた戻ったけど、やっと達成できました」と笑顔を見せた寺原。12度目の挑戦でようやく手にした巨人戦勝利は、9回を一人で投げ抜き、粘って四球で出塁し、自ら決勝のホームを踏むという執念のたまものだった。

 足掛け5年、11連敗と“産みの苦しみ”を味わった寺原に比べれば、沢村の1カ月ほどの勝ち運のなさは、「まだまだ」と言えるかも…。寺原ほどの執念と根性を見習えば、沢村がトンネルを抜け出す日も、そう遠いことではないかもしれない。

(成績はいずれも2011年5月23日現在)


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[ 2011/05/24 08:22 ] スポーツ プロ野球 | TB(0) | CM(0)
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プロフィル

I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes...or should I?

Author: 本間 普喜
(ほんま ひろき)

1963年5月7日、横浜生まれ
1987年、産経新聞社入社
職業:ライター
好きな食べ物:極上の本マグロ、アルコール類全般…
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