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闘将・星野、いきなり遭難!

 楽天・星野監督がキャンプ初日に道に迷って遭難。闘将を救出したのは…。

 キャンプの話題を独占する日本ハム・斎藤佑樹投手(22)に負けじと話題作りを狙ったわけではない。楽天・星野仙一監督(64)が沖縄・久米島で遭難。命からがら助かった。

 キャンプ初日の全体練習終了後、星野監督は送迎の車に乗り込んで宿舎に向かった。久米島野球場から選手宿舎の「ホテルマリンテラス久米島」までは約10キロ。星野監督は「1人で歩いて帰りたい」と途中で下車し、ひとりで歩き始めた。星野監督としては3キロほどをウォーキングしようと思い、「3キロのところで落としてくれ」と指示したのだが、運転していたスタッフは球場から3キロの地点と勘違い。つまり、7キロほどを歩かされるはめになったのだ。

 しかも、土地勘は全くない。県道89号を右折するというおぼろげな記憶はあったのだが、はるか手前で右折してしまい、ホテルとは全くあらぬ方向へ。そう、いい年して、あろうことか迷子となってしまったのだ。

 そこに通りかかったのが地元の少年野球チームに所属する小学6年生の3人組。

 「ところで監督、どこへ行くんですか?」と問われて、「ホテルだよ」と答えると、「えっ? こっちの方角にホテルなんてありませんよ」と初めて道に迷ったことを気付かされた。

 結局、3人に道案内されて約5キロの道のりを約1時間半かけて歩くことに。残り200メートルほどになったところで、携帯電話で指揮官の“遭難”を知らされた球団関係者が車で駆けつけ“救助”したが、星野監督はさすがにバテバテ。「この子たちがいなければ帰れなかった。命の恩人や。お礼がしたい」と3人をホテルに招いた。

 久米島町の人口はわずか8713人で、日中でも人影はまばら。もし、そのまま日が暮れていたら、どうなっていたことか…。星野監督の「命の恩人」という言葉も決して大げさではない。少年たちが「最初に会ったとき、監督はつらそうな表情で、屈伸運動をしていました」と話す通り、水も食糧も持たずに歩き続けていたら、最悪、行き倒れとなっていたかもしれない。

 ホテルのプールサイドでジュースやパンを振る舞われた3人は、中学ではそろって野球部に入る予定。道すがら「プロ野球選手になるには、どうしたらいいですか?」と聞かれた星野監督は「一生懸命努力すればプロ野球選手になれるよ」などとアドバイスしたという。

 星野監督は3人に「夢」と書かれたサイン入りの色紙をプレゼントしたのだが、3人の名前は、安里太一君、石嶺綾一君、そして喜友村佑貴君。サインする際に星野監督が「名前は?」と尋ねると、喜友村君が「佑貴(ゆうき)です」と答え、星野監督は「どこかで聞いたような名前だなあ」と苦笑い。星野監督が“佑ちゃん”に救助されるというオチまで付いた。

 それにしても、キャンプ初日に監督が迷子になるなど前代未聞の珍事。でも、地元の子供たちとの心温まるエピソードは、闘将の“恐ろしげなイメージ”を少しは和らげてくれそうだ。


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[ 2011/02/02 09:31 ] スポーツ プロ野球 | TB(0) | CM(0)
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プロフィル

I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes...or should I?

Author: 本間 普喜
(ほんま ひろき)

1963年5月7日、横浜生まれ
1987年、産経新聞社入社
職業:ライター
好きな食べ物:極上の本マグロ、アルコール類全般…
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