本間普喜のホンマのところ… TOP > 2011年03月08日                    お気に入りに追加

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“武士の情け”と古田の涙…

 大相撲の八百長問題でよく引き合いに出されるのが、講談や落語の演目「佐野山」の人情噺。江戸時代寛政年間の名横綱、谷風梶之助が、親が大病を患って困窮していた佐野山のために八百長でわざと負けるという話だ。

 東京新聞2月3日付の1面コラム「筆洗」も、私欲のない谷風の人情相撲と、私欲のための八百長相撲は「比べるべくもない」と断じている。だが、幕下転落の瀬戸際にいる力士を助けるのは、ある意味、“情け”ではないのか? もちろん、賭博が絡むような八百長行為は論外だが、“武士の情け”に通じるような逸話は数多くある。

 もう10年以上も前の話になる。2000年10月11日、神宮球場で行われたヤクルト対広島の最終戦。当時広島の金本知憲外野手(現阪神)はここまで29本塁打。史上7人目となる打率3割、30本塁打、30盗塁のいわゆる「トリプルスリー」がかかっていた。金本は「ラスト1試合でしたからね。もう完全に諦めていました」と振り返る。

 ところが、当時のヤクルト捕手・古田敦也氏は金本の打席の際、全てど真ん中直球のサインを出した。もちろん、あらかじめ球種が分かっていても本塁打が打てるという保証は100%ではないが、確率は大幅に上がる。金本ほどの一流打者ともなれば尚更だ。かくして金本は四回、右翼スタンドへ30号ソロを放ち、見事「トリプルスリー」の偉業を達成した。

 試合後、当時広島のエースだった佐々岡真司氏は金本に対して「これで人生変わったな」と語りかけた。金本自身も当時はあまり実感がなかったとしているが、後になって「今思えば、あの1本は大きかった」と述懐している。

 順位が確定した後の消化試合とはいえ、わざと本塁打を打たせたのなら“背信行為”ということになる。ネット裏の記者ばかりか、見え見えの配球に気付いていた観客もいたはずだ。しかし、この件に関して古田氏が責められたことは、これまで一度たりともない。

 ご存じの通り、古田氏は2004年に球界再編問題が起きた際、当時の選手会長として「2リーグ制12球団維持」を求め、史上初のストライキを敢行した人物だ。スト決行が決まった夜にはテレビ各局をはしごし、ファンに対して経緯を説明し、理解を求めた。当時は多くのファンが古田氏の決断を支持。視聴者から寄せられた激励のメッセージには言葉を詰まらせ、涙を流した。それほどまでにファンのことを思い、野球界のことを思う熱い男だった。

 たとえ金本の「トリプルスリー」が古田氏の“演出”だったとしても、それは球界を盛り上げようとしてのこと。バッテリーにとって本塁打を浴びることは本来、最大の屈辱だが、そんな小さな私欲よりも、大記録で球界を盛り上げることを最優先に考えたのだろう。

 また、古田氏の苦渋に満ちたスト決行の決断がなければ、今の楽天球団は存在していない。その楽天は、今季から“闘将”星野仙一監督が指揮を執る。「グラウンドは戦場だ」と言う星野監督。もちろん、その通りだとは思う。勝負の世界では時に冷酷非情に徹することも必要だろう。だが、たとえ戦場の中であろうとも、人の情けはあっていい。何しろ日本には、敵に対しても情けをかける武士道精神が脈々と息づいているのだから…。(本間普喜)

(2011年3月8日付 産経新聞運動面に掲載)

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[ 2011/03/08 11:09 ] スポーツ | TB(0) | CM(0)
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プロフィル

I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes...or should I?

Author: 本間 普喜
(ほんま ひろき)

1963年5月7日、横浜生まれ
1987年、産経新聞社入社
職業:ライター
好きな食べ物:極上の本マグロ、アルコール類全般…
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