本間普喜のホンマのところ… TOP > 2011年02月10日                    お気に入りに追加

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プロ野球にも“八百長”は存在する!

 八百長スキャンダルに揺れる大相撲界。実はプロ野球にも今なお、八百長は存在している。

 今回の大相撲の八百長スキャンダルは、野球賭博の捜査の過程で発覚したメールのやり取りが発端だった。はるか以前から、大相撲の八百長はあったのだが、日本相撲協会は一貫してその存在を否定。しかし、動かぬ証拠を突きつけられたことで、ついに、3月13日に初日を迎える予定だった春場所が中止に追い込まれるという前代未聞の事態に発展した。

 だが、7勝7敗と勝ち越しのかかった力士が千秋楽で必ず勝つというのは、相撲ファンにとっては半ば常識で、星の貸し借りは“相互扶助”とも言えるもの。好角家は「また、やりやがった」とニヤリと笑う程度で寛容に見逃してきた。

 落語の演目にも「佐野山」と題される人情噺がある。今では伝説となっている江戸時代の大横綱、谷風梶之助。土俵に上がれば無敵で、その強さは神の域だった。その谷風が妙な噂を耳にした。十両の筆頭に佐野山という力士がいて、毎夜、お宮で水ごりをしている。何でも母親が大病らしい。もともと小兵だった佐野山は薬代で蓄えを使い果たし、空腹のまま土俵に上がり、黒星を重ねていた。窮状を知った谷風は一世一代の芝居を打つ。親方衆に千秋楽に佐野山と対戦させてくれと願い出た。千秋楽の結びの一番、誰もが無敵の谷風が連敗続きの佐野山に負けるはずはないと多額の懸賞金が懸けられていた。ところが谷風は仕切りに入ったところで「これからも孝行に励めよ」と声をかけ、熱戦を演じた末にわざと負けた。まさかの展開に大勢の見物客からは祝儀の金品が雨あられと投げ込まれ、佐野山は借金を返済し、故郷に帰った。後に、この一番は八百長だとバレた。しかし、まんまとだまされた江戸っ子たちは、怒るどころか「これは、こしらえ(八百長)相撲なんかじゃねえ。人情相撲だよ」と谷風の人格を称えたというストーリーだ。

 谷風梶之助は実在する第4代の横綱だが、同じ時代に佐野山という力士はいなかったので、フィクションとされている。この美談と今の八百長騒動は同列には語れないが、十両以上と幕下では天と地ほどの待遇の差があり、“相互扶助”という点では共通したものがある。

 長々と相撲の話を書いてしまって申し訳ないが、今のプロ野球にも、この“相互扶助”の精神は生きている。プロ野球では1969年から1971年にかけての「黒い霧事件」が有名で、暴力団も関与。敗退行為などに関与したとされる複数の選手が永久追放の処分を受けた。これ以降、プロ野球は公明正大をうたい文句にし、暴力団の排除を徹底してきたが、“相互扶助”という八百長は今現在でも存在している。

 好例は、タイトル争いがかかるシーズン終盤の試合。首位打者争いのかかったチーム同士の対戦では、ライバル球団の打者にタイトルを獲らせないために、わざと四球を投げさせて打たせないように仕組む。当然、相手球団のファンからはブーイングが巻き起こるが、これも自分のチームの打者に首位打者を獲らせたいという“人情”だ。

 また、2000年10月11日のヤクルトvs広島の試合では、現阪神の金本知憲外野手(42)の史上7人目となる打率3割、30本塁打、30盗塁のいわゆる「トリプルスリー」がかかっていた。ヤクルトのマウンドに上がっていたのは、後に外野手に転向した宮出隆自投手(33)。捕手は後に選手権監督を務め、2007年に引退した古田敦也氏(45)だった。この日、金本が打席に立った際、古田氏が宮出に出したサインは全て、ど真ん中のストレート。つまり、金本に30号本塁打を打たせたいという思惑だった。当時、ネット裏で見ていたベテラン記者は「何だ、古田もやるじゃねえか」とニヤリとしたものだった。

 もちろん、あらかじめ球種が分かっていても本塁打が打てるという保証は100%ではないが、大幅に確率はアップする。かくして、金本は四回に30号本塁打を放って、見事に「トリプルスリー」を達成。広島ファンはもちろん、ヤクルトのファンからも大喝采を浴びた。

 その後、2002年に当時、西武の松井稼頭央内野手(35=現楽天)が「トリプルスリー」を達成したが、長いプロ野球界の歴史でもこの偉業は8人しか達成していない。

 金本にわざと30号本塁打を打たせた古田氏の配球は、厳密に言えば「八百長」ということになる。ネット裏の記者ばかりか、観戦していたファンの中にも古田氏の意図的な配球を見抜いていた人も多かったはずなのだが、この件に関して古田氏が責められたことは、これまで一度もない。

 ご存知の通り、古田氏は2004年に球界再編問題が起きた時に、選手会長として「2リーグ12球団維持」を求めて、日本プロ野球機構(NPB)側と徹底抗戦。日本プロ野球史上初のストライキを敢行した人物だ。当時は多くのファンが古田氏の決断を支持。古田氏はストライキ決行が決まった夜に各テレビ局をはしごして経緯を説明し、ファンの理解を求めた。視聴者から寄せられた体調を気遣うメールには、言葉を詰まらせ、涙を流した。

 それほどまで、プロ野球を思い、ファンを思う熱い男だった。古田氏の奮闘がなければ、今の楽天は存在していなかった。

 もちろん、当時の金本が「佐野山」のように母親の大病で生活に困窮していたというわけではない。だが、古田氏の直球ど真ん中のリードには、伝説の横綱、谷風に通じるような“人情”が感じられる。

 「八百長=悪」と決めつけるのは簡単だし、メディアにとってはバッシングする格好のネタだ。しかし、その裏にある“人情”は決して無視するわけにはいかない。


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[ 2011/02/10 09:25 ] スポーツ プロ野球 | TB(0) | CM(0)
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プロフィル

I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes...or should I?

Author: 本間 普喜
(ほんま ひろき)

1963年5月7日、横浜生まれ
1987年、産経新聞社入社
職業:ライター
好きな食べ物:極上の本マグロ、アルコール類全般…
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